ミヤコワスレの花言葉の背景には、遠い昔の「順徳天皇の島流し」のストーリーがありました。承久の乱(1221年)…歴史で習ったような…で、順徳天皇が鎌倉幕府を攻め討ち、佐渡ヶ島に22年間流されました。順徳天皇は庭に咲いたミヤコワスレの花を見て、「この花を見ると都への想いを忘れられる」と話されたそうです。この花の代表的な色である濃紫は古くから都を象徴する高貴な色とされています。ミヤコワスレの花の色が懐かしい都を連想させたのですね。